キムズ・ビデオにはじめて行ったのは1990年代の中頃だったろうか。セント・マークス・プレイスにあったモンド・キムとは、当時ニューヨークの文化的中心だった書店セント・マークス・ブックショップに行ったとき、偶然出会ったのだったか。いや、話はそれとは逆で、モンド・キムとセント・マークス・ブックショップがあればこそ、セント・マークス・プレイスはニューヨークの文化流行の中心となりえたのかもしれない。
キムズ・ビデオはレンタルビデオ屋だから、旅行者のぼくが真価を味わえたわけではない。だが、無慮数万の在庫の中には大量の海賊版やレアビデオが存在しており、そのダビングだったのか、大手のソフト・ショップでは決して扱わないアンダーグラウンド・シネマや海賊版のVHSも売っていたのだ。大量のVHSやLDを買いこんだ。リチャード・カーンやリディア・ランチの作品をはじめて見たのもここだったか。『クレクレタコラ』が売られていたのは宇川直宏くんが持ちこんだLDが元になっていたのだとかいう話も聞いたことがある。そんなかたちで、キムズ・ビデオは世界映画のアンダーグラウンドな交流の場とさえなっていた。
2008年、レンタル時代の終わりとともに、キムズ・ビデオは閉店した。5万5000本とも言われる世界最高のレアビデオ・コレクションは……どこにいったのか?
それは驚くべき探索の物語である。キムズ・ビデオのビデオ・レンタルで映画ファンとして研鑽を積んだデイヴィッド・レッドモンは、そのコレクションがどうなったのかを調べはじめる。その旅ははるか遠くイタリアはシチリア島にまでたどり着くことになる。「まるでスコセッシの映画に迷いこんでしまったようだ」と言われたレッドモンは、「だが、スコセッシ映画といってもいろいろあるぞ」と自問する。「それは『グッドフェローズ』のファミリー・ディナーなのか、それとも『キング・オブ・コメディ』のルパート・パプキンの部屋なのか?」いずれにしてもハッピー・エンドは望めまい。映画の迷宮から抜け出すために、レッドモンたちは「映画の神」たちを召喚しようと試みる。
映画の冒頭には「このドキュメンタリーにおける、虚構のキャラクターとの類似はすべて偶然によるものです」との警告が出る。レッドモンたちキムズ・ビデオに取り憑かれた映画の使徒たちにとっては、すべては映画であり、すべての登場人物が映画のキャラクターなのである。キムズ・ビデオの遺産をめぐる冒険は、いつしかフィクションの中に入りこむ。それはスコセッシ映画なのか、それともベン・アフレック監督作品なのか? 映画の中で生きるという映画ファンの最高の幸福が実現する。
~中略~
映画はさらに国境を越え、グローバルな旅の果てについに日本にまでたどり着いた。映画の中に登場する日本産VHSビデオたちにとっても再度の里帰りである。キムズ・ビデオは我々がTSUTAYAで、You&Iで、その他日本の隅々にあった名もなきレンタルビデオ店たちがつむいだ物語とつながっている。かつてビデオ屋の片隅にあった手書きジャケットやコピージャケットの怪しいビデオそれぞれに物語があったことをこの映画は思い出させてくれる。その物語同士は絡みあい、ついには大河に至るのだ。
キムズ・ビデオをめぐる冒険は決して他人事ではない。この映画を見たとき、最初に思いだしたのがTSUTAYA渋谷店が抱えていたレアものVHSビデオ・コレクションのことである。TSUTAYA渋谷店閉鎖後、あのビデオ・コレクションはどこへ行ってしまったのか。もちろんキムズ・ビデオの無慮数万のコレクションとは比べるすべもない。だが、それもまた世界にふたつとない独自のコレクションであったのだ。あのレア・ビデオの山がどんな運命をたどってどこへ行ったのか、それもまた解明されなければならない。その責任はぼくらにある。あるいは、『キムズビデオ』を上回る数奇な物語と、素晴らしき奇跡が待っているかもしれないではないか。
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